第二次大戦の歴史と遺産

令和7年7月1日

アッツ島の戦い

Attu Map 写真提供:厚生労働省
第二次世界大戦中の1942年6月に、日本軍がアリューシャン列島にある米国・アラスカ州のアッツ島を占領し2,600名の守備隊を配置したのに対し、1943年5月12日からアッツ島の奪回を図る米国軍が日本軍の約5倍に当たるおよそ1万1,000人の兵力を送り込み、17日間におよぶ激戦を繰り広げ米国軍に甚大な被害を与えましたが、同年5月29日に日本軍は玉砕しました。

日本人戦没者慰霊碑建立

木製慰霊碑 建て替え前の木製慰霊碑
石慰霊碑 2019年 石碑による慰霊碑の建立記念式
終戦後、米国政府の好意により、アッツ島にて戦死した日本軍兵士2,600人のうち235人のご遺骨がフォート・リチャードソン国立墓地に埋葬され、その後1953年7月に日本に送還されました。
アラスカ在住の日本人の有志の方々により、1981年5月にこれら235人の日本人戦没者のために木製の慰霊碑が建てられ、2002年9月には老朽化により同じく木製の慰霊碑に建て替えられました。アッツ島の戦いから75周年にあたる2018年に、木製慰霊碑を石碑に建て替えようとする気運が高まり、同年6月に建て替え発起人会が発足し、アッツ島遺族会(代表 浅野元彰氏)、アラスカ在住の日本人有志、日系企業等の支援を得て、日本で作成された石碑が2019年4月末にフォート・リチャードソン国立墓地に届き、令和元年という節目の年に建て替えが実現しました。

戦没者遺骨収集事業

アッツ島での戦没者遺骨収集は、1953年に約320柱を収容したのが最後で、今なお多くのご遺骨がアッツ島に取り残されたままとなっています。
遺骨収集事業が困難な理由としては、(1)同島がアラスカ州の中心部より約2,400kmも離れた無人島で、現在島全体がアラスカ海洋国立野生生物保護区に指定されているため簡単に立ち入ることができず、地面を掘削することが困難且つ、事業ためのインフラ整備が必要なこと
(2)厳しい気象条件(濃霧や雪に覆われており、1年うち本格的に調査や収集活動ができる時期は夏場の7~8月に限られる)、が挙げられます。
こうした困難な状況の中、米国側(アラスカ陸軍工兵隊及び内務省魚・野生生物局等)と調整を行い、2024年8月に内務省魚・野生生物局及びアラスカ先住民協会などの協力のもと、厚生労働省は遺骨調査を行い、日本兵のご遺体が埋葬されたとの記録がある2か所を試掘し、そのうちの1か所から推定2柱のご遺骨と身の回り品を収容し、現在ご遺骨のDNA鑑定が進められています。
 
参照:https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_48658.html